興味の尽きない江戸の暮らし、うめ婆行状記(ぎょうじょうき)

髪結い伊三次で宇江佐真理を知る

宇江佐真理は、わたしの好きな時代小説家のひとりです。

はじめて宇江佐真理の名前を知ったのは、テレビドラマに

なった「髪結い伊三次捕物余話」。

 

ドラマでは、同心や廻り髪結いの日常生活がリアルに描かれ、

毎回見ることにしました。同時に文庫本の伊三次のシリーズも

夢中で読破。

 

f:id:Yurumu_S:20190312155445j:plain

新聞小説に夢中

さて、うめ婆行状記は、宇江佐真理の遺作になった時代小説です。

ふだんは新聞小説は一切読まないのですが、朝日新聞

「うめ婆」が連載されていたころは、新聞を開くのが待ち遠しい

ほど。うめ婆が、老舗の酢と醤油の問屋である伏見屋から、

町奉行所臨時廻り同心の霜降家(しもふりけ)に嫁いで

三十年後、夫を急病で失うところから話は始まります。

 

わたしは、伏見屋と霜降家の関係を示す家系図を拡大コピーして

ボードに貼り、連載を読むときにチェックしていました。 

 

うめ婆の話のいったいどこが面白いのでしょうか?

 

江戸の女性の自立を描く

女三界に家なし、と言われます。こどものころは、

両親に従い、嫁いだのちは夫に従い、老いては子に従わねば

ならないとされた時代を背景に、「うめ婆」は

女性の自立を描いています。

 

大店の娘であったうめは同心の妻となり、4人のこどもを

無事育てますが、夫の死後、ひとり暮らしをしようと決意。

親しい仏具屋のお内儀も「五十近い婆ぁの独り暮らし」は

物騒だと言います。うめは、長男と衝突し、目論見通り

霜降家を離れてひとり暮らしを始めます。

 

現代では、「五十近い」女性は、まだ人生半ばという

イメージですが、平均余命も短かった江戸時代では、

すでに余生を過ごす年齢の女性が、たった一人で暮らそうと

しても、周囲が許さなかったでしょう。

 

うめは、実家の父が残してくれた金が残っていたという

幸運にも恵まれますが、やはり強い意思がなければ

ひとり暮らしは無理だったと思います。うめが我を通す

経過が面白く、応援したい気持ちになるのです。

 

暮らし振りが伝わる小説

宇江佐真理は、自分の目の前で行われているかのように、

江戸の庶民の生活を描いています。読んでいると、時代は

変わっても、生活の基本には、それほどの変化はないことが

わかります。

 

うめは、引越し当日に米を買い忘れていたために、わびしい

夕食を摂る羽目になります。一汁二菜程度の夕食の膳でも、

あつらえるには、さまざまな準備をしなければなりません。

それは、24時間営業の店舗や宅配システムが整った現代でも

同じことです。

 

食事をこしらえ、食べて、眠り、髪を整え、身繕いをし、

はたらき、湯に入る。日常の繰り返しは、時代が経っても

さほど変わりません。うめの暮らしには、便利な家電製品や

高速の交通手段などがない分、生活のエッセンスが

描き出されています。

 

 うめが庭の梅をもぎ、へたを取る作業に疲れて

食事もしないでいると、となりのつたが訪れて、

持ってきてくれたのは丼飯とたくあん。

甥のこども、鉄蔵の絵本を買いがてら、青物屋

魚屋で買物を済ますと、昼は面倒だからと蕎麦屋へ。

甥の鉄平が訪れたときの酒の肴は、煮売屋のきんぴらごぼう

です。食べ物ばかりを取り上げましたが、うめの

食生活が読んでいるうちにわかってくるのです。

 

逃れられない他人との縁(えにし)

霜降家から離れて、わずらわしい人間関係から距離を置いた

つもりのうめでしたが、ことはそう簡単ではありません。

 

伏見屋の若旦那、甥の鉄平には嫁がいなかったはずでしたが、

実は、以前に惚れた女と切れておらず、鉄蔵というこどもまで

いたのです。鉄蔵をめぐって、うめの実家伏見屋は大荒れ。

うめは、鉄蔵の存在を伏見屋に認めさせ、鉄平の妻、ひでを

正式の嫁にしようと活躍します。

 

うめが、ひとり暮らしをしたからといって、絶海の孤島に

住んでいるわけもなく、結局は、地縁、血縁のつきあいが

なくなるわけもないのです。

 

うめが父親からもらった金も心細くなってきました。

はたして、うめはひとり暮らしをするだけでなく、

自分の手でお足を稼げるようになるのでしょうか?

 

わたしには、まだ読んでいない宇江佐真理の小説が

たくさんあります。それは、とても幸運なことだと

思っています。